産褥入院初日

病室で子と二人きりになった瞬間、「さみしい」という気持ちに支配されて涙がダラダラ出てきた。
涙もろくなってるな、と少し落ち着いてから身の回りの物のセッティングをする。

看護師さんは昼夜どちらの人もサバサバ、しっかり、明るく愛想のいい人で良かった。夜のナースステーションは人が少なそう。

産後ケア入院部屋の埋まり具合は3割~5割くらい?
トイレなし個室はかなり狭そうで2週間もいたら滅入りそう。贅沢をしてバストイレ付個室にして正解だったと思う。

作品に触れたときの涙とは別に、無性に夫に会いたくなって、お風呂後にまたダラダラ泣く。自宅にいる間夫がとにかく私を寝かそうとしてくれたこと、すごく子を可愛がっていたことが思い出されてさみしい。
コロナで大変だったでしょうと言われるたびに、私なんかエッセンシャルワーカーでもなく、ずっと在宅勤務がゆるされ、夫も飲み会や出張がまったくない人で、そこまで不便な思いはしなかったし、元気だし、平気だと思っていた。
でも、本当は夫に立ち会ったり面会にきてほしかったし、どちらの家の祖父母にもすぐ会いにこられるような状況がよかった。私以外だれかにも子をかわいいかわいいって思ってほしい。手をかけてあやしてほしい。ずっと我慢していたのかもしれない。
友達にも会えない頃から、ストレスを貯めていたのかもしれない。

子供に恵まれて、幸い大きめに生まれてきてくれて、とりあえず健康に心配なことはなにもなくて幸せなんだけど、つもりにつもったものが爆発しているのだろう。たぶんホルモンに対する感受性も強いし。

文章にしてせめて吐き出しておきたい。

妊娠備忘録202004~202012

既に妊娠初期のことを忘れかかっているので、覚えている限りのことを書き出しておこうと思う。

 

4月下旬、ほぼ予定通り来ているはずの生理が5日ほど遅れていることに気づく。

そわそわしつつ、検査薬が使えるのは予定日+7日ということで余裕をもって10日後に検査薬を使用して陽性。ここで夫に報告。

近所の産科をネットで調べたりして、ふわーっとして仕事が手につかない一日だった。陽性反応を見てから、急に悪阻っぽく体調を崩す。会社には単に「体調を崩した」と報告。

 

5月連休明け、かかりつけの婦人科で診察。

在宅勤務に切り替わっていたこともあり、もっと家の近所の産婦人科にしようかとも思っていたけれど、ここで2017年に受けた手術の話や、前年に受けたレディースドックの再検査を受診していて、私のデータが詰まっているところだったのでボンヤリしていた頭にちょうど良かった。

 

5月半ば、心拍確認。

コンビニのおにぎりやパンを夫に頼んでいる形跡がある。宅配便の対応もできず、横になっているしかない。食べたくないが、食べないでいると気持ち悪いし満腹になると嘔吐。全身が熱っぽく、寝られないのでソファに3時4時までただ座り込んでいたり。ポカリとウィダーinゼリー、果物でとにかくしのぐ。起き抜けに飴を口に入れないと起き上がれない。

かなり早い段階だが、上司と仕事で組んでいる同僚には妊娠していることを報告。既に仕事は休んでおり、とてもではないが数日で復帰は無理そうと見越してのこと。

 

5月下旬、母子手帳受け取り。

受け取り時に助産師さんの面談があり、産後のサポート状況等詳しく聞かれる。産褥入院を予定していると言ったら、よく計画していると誉められた。制度の冊子やパンフレットのほか、ミキハウスの肌着やファミリアのバスタオルも入った大きな紙袋を持って帰宅。たまたま保健所の近くに住んでいて本当に良かった。

 

5月末、産科選び。

悪阻中、嘔吐と腹痛のW症状でトイレに篭った際に「これよりつらい痛みなんて絶対に私は耐えられないし、パニックになってしまう」と結論が出て無痛対応の産科で探すことにする。

妊婦検診の補助券を使っても、診療費数千円~二万円弱の自己負担があることにビックリする。数百円で済むようになるのかと思っていた。十年ちょっと前はこの補助券さえなかったんだから、マジでマジで国は少子化とかどうでもいいって思ってるんだろう。

妹に妊娠報告。

 

6月初旬、産科分娩予約。

結局かかりつけ医と連携している大学病院に予約。私の一応の出産予定日=年明け早々なので予約が入れられた。年内分の予約はすでにいっぱい。競争が激しい病院なので、連携しているクリニックでこれまた助かったのだと思う。お願いした処方箋や診断書が忘れられたりして、あわてて戻ったり手間をかけられる面もあったけど、まあ良いところのほうが圧倒的に多かった。全員快活な女医さん&技師さんだし、3Dエコー動画を診察時間中ぶんまるまるくれるし。

 

6月半ば、しばらく休みの診断書発行。

診断名は妊娠悪阻(にんしんおそ)。このままだと有給休暇を使い切ってしまうので、診断書をもらった。悪阻はだんだん調子がいい日が出てくる→軽快らしいので、ずーっと具合が悪い私の場合、まだしばらくよくならないという見立て。体重は妊娠前から5kg減。ケトン体などは出ておらず、赤ちゃんはずっと元気である。

 

6月下旬、初めてお友達に妊娠報告。

ベビー肌着の知見などを教えてもらう。ユニクロ大型店で買い出しする。ユニクロのマタニティがあって助かった。ここからほぼ毎日ゆったりしたトップスorワンピース+マタニティレギンス+靴下の日々。

 

7月初旬、出産する病院での診察。

地元を離れて以来久しぶりの大学病院の広大さに圧倒される。若い男の先生(たぶん年下)で、大学病院っぽいと思うなど。院内はめちゃめちゃ複雑な導線で、お年寄りがよく通えるなと感じる。会計が後日クレジット決済なのはすごくいい。

このころ実家の父と夫の実家に妊娠報告?

 

7月中旬、ナショナルギャラリー展をとばしとばし観る。

夫がいまごろ「麦茶にはカフェイン入ってないんだって」などと言い出す。2Lペットボトルが玄関に箱で届いてるのに見えてないのか?

夫の実家から果物をジャンジャンいただく。ありがたい。

エコー撮影時、子が子宮の壁にはりついていて顔がうまく撮れない。この後もずっとそんな感じだった。狭いとかではなく、好きで張り付いているらしい。

 

7月下旬、弟を殴りまくる悪夢を見る。

このころは寝ると毎回しんどい夢を見ていた気がする。
六花亭の通販をしていたり、とんかつ定食を食べたり、食欲が回復している。一瞬便秘になりかかっていたが、大量に水分を摂るようにしたら解決した。

 

8月中旬、仕事に復帰。

カンが戻っておらず、ボンヤリしたコメントなどしてしまう。体重が妊娠前に戻ってきた。一応定時勤務でということだったが、慣れてくるとどんどん時間外もせざるを得なくなっていった。さすがに妊娠前ほどは仕事せず。

 

9月~10月

一番元気だったかも?仕事はしているし、ご飯も食べ、お菓子もそれなりに食べ、週末はベビー用品店に買い出しにへ行ったり、映画を観に行ったり、ビリーエリオットを観劇したりしていた。

 

11月、待ちに待った産休入り。法定より2週間ほど前倒しだけど、お腹が重くて息切れするし、とにかく眠いし早めに入ると言っておいて正解だった。産休に入ったらいろいろやるぞと思っていたけど、ただただ寝ていたような気がする。

産褥入院先に電話して、「予約でいっぱいで入れないということはない」と確認。2つの施設で迷っていたけど、一方は9泊10日の上限アリということで断念。ただし未就園の上の子がいる場合は子連れ泊可能なそちらの施設しか選べない。

入院バッグは病院の指定通り作るとボストン×2(陣痛時持ち出し+着替え類)と紙袋×2(陣痛タクシー用タオルとレジャーシート+退院着)に。寝巻やタオルは病院でも借りられるけれど、「借りられる」ということがわかったのが12月頭の入院説明の時だったし、「部屋けっこう寒いのでモコモコの寝巻でよい」とのことだったので、このままにする。

入院説明は産科ではなく、わざわざ銀行の相談ブースのようなものが並んだ入院説明窓口で受けた。隣のブースの話が聞こえないようなノイズ発生機?も設置してあって、つくづくデカい病院だな~と思う。

 

12月、いよいよ臨月入り。ベビー用品の買い出しの追い込みや部屋のレイアウト変更など。レンタルでいいと思っていた大物も、半年使うなら購入と大して変わらない金額だったので買った。服は妹や友人からおさがりをいただき、ハイローチェアも譲ってもらえた。
日中時々前駆陣痛?のような腹痛も感じる。育児書は古典と定番を購入してざっと読んでいる。Oisixのアカウントを復活させる。ダスキンとベアーズに会員登録。

年内の検診ラスト3回で尿糖引っ掛かる。1回目+、2回目+++、3回目++。お菓子を少し控える。

子宮口が年内最後の検診時点で3cm開いていたため、次回年明け検診の前に産まれる気がする~とのこと。

しかし内診はメチャクチャ痛い。翌日くらいまで重めの生理痛みたいなのが残る。

 

思い出すことがあればまた追記。